アジアとヨーロッパが混在する親日国トルコ 

 春のトルコを旅した。トルコは、もともとはギリシャ・ローマ文明の地である。同文明の遺跡がいたるところにある。そのベースの上に、10世紀から13世紀にかけて中央アジアからトルコ系民族の源流が進出、アナトリア地方(現在のトルコ地域)を支配するに至った。
 1453年にオスマン・トルコ軍はビザンチン帝国の首都、コンスタンティノープル(現イスタンブール)を陥落させてヨーロッパに橋頭堡を築く。やがてオスマン・トルコ帝国は東ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアまで支配する大帝国に成長する。第一次世界大戦までは、国際政治の中で大国の地位を占めていた。
 朝5時、コーランの詠唱でイスタンブールの朝は明けた。ボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパにまたがる大都市。街を歩く人々は、金髪の白人、アラブ系、アジア系と、まさに人種の坩堝。多民族大帝国の歴史を物語る。
 首都アンカラは内陸部にある。近代トルコ建国の父、ケマル・アタチュルクは陸軍軍人。
 第一次大戦で敗北したトルコに、欧州列強は分割支配を目指して毒牙をのばしてきた。列強に妥協して屈しそうになる皇帝勢力を排してケマルは決起し、諸国軍と戦い独立を守った。ケマルは皇帝(スルタン)政治に終止符を打ち、共和国を樹立。近代化に向けて数々の改革を行った。ケマル・アタチュルクの廟に向かう舗道で、国歌が鳴り響くと、談笑しながら歩いていた少女たちが直立不動の姿勢をとった。廟の中にあるケマルの檄文、『トルコの青年に告ぐ』は感動させられる。
 カッパドキア地方の地下都市・カイマクル。地下8階までの狭くて長い地下道を、腰をかがめて歩いた。さまざまな民族が戦いを逃れて住んだのだ。迫害されたキリスト教徒が隠れ住んだこともある。人類が繰り返してきた骨肉相食む戦いの残酷さを思う。
 エーゲ海を臨む港湾都市・イズミールに近いエフェソスの遺跡には、クレオパトラとアントニウスがパレードした道がある。まさに、トルコは地中海世界の版図に含まれていた。
 なお、このエフェソスには、聖母マリアが晩年を過ごし、昇天したという小聖堂『聖母マリアの家』があるから驚く。全世界からやってきた信者の表情はみな謹厳そのもの。
 トルコ人はおしなべて親日的である。ロシアの圧迫を受けてきた歴史があるから、アジアの新興国だった日本が、日ロ戦争でロシア帝国に勝ったことに尊敬の念が強い。そしてまた、明治23年、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難した際、地元民が総出で献身的に救助したエピソードが未だに語り継がれ、国民はその恩を忘れていない。ある博物館で見学中、トルコ人の中年男性が近づいてきた。「ジャパン?」と聞く。うなずくと、こちらの手を固く握りしめ語り始めた。トルコ語で判らない。しかし、「ヒロシマ、ナガサキ」という言葉が混じっていた。其の眼はうるみ、明らかに敬愛の念が表れていた。そして彼は同行してきた家族を振り返り、何か叫んだ。「この方は日本人」だと言ったようだった。
 日本とトルコの友好万歳!!