クレタ島の港に停泊する釣り船 クレタの首府イラクリオンの街に立つ筆者

ギリシャ・クレタ島紀行

 さる年の夏、うだるような暑さの中、ギリシャ・クレタ島を訪ねた。地中海の東、ギリシャとトルコの間に横たわるエーゲ海の南端に、その島はある。水平線の彼方はアフリカ大陸だ。
 青銅器文化・エーゲ文明の一環であるクレタ文化(BC1880〜1300)繁栄の地である。最高神ゼウスが生まれたとされる島でもある。半人半牛の怪物ミノタウロスが閉じ込められた迷宮伝説で有名なクノッソス宮殿等々、神話の世界が目の前にある。
 他の地中海の島々の例にもれず、ギリシャ、ローマ、アラブ、ベネチア、オスマントルコと目めまぐるしく支配者が変わり、幾多の戦乱を経て1913年にギリシャに帰属。常に征服者と戦ってきた民衆の歴史がある。情熱的で、誇りを守るため、時には、支配者に対する絶望的な反逆も辞さず、自由への強い憧憬を抱き続けてきたのがクレタ人気質だ。
 実は、クレタへの旅の第一の理由は、古代文明探訪ではない。クレタ生まれの作家、ニコス・カザンザキス(1883―1957)の小説『その男ゾルバ』(1964年、アンソニー・クイン主演で映画化)の息吹に触れるためだ。カザンザキスは仏教にも興味を持ち、日本を訪れたこともある。キリスト教世界の枠を超える精神の自由を生涯追求した人物である。
 作家は小説の序文にこう記した。「私の生涯でどんな人が私の魂に深い痕跡を残したか…ホメロス、ベルグソン、ニーチェそしてゾルバである」前三者は世界文学・哲学史上著名な人物である。しかし、ゾルバは作家が出会った実在の無名の労働者だ。作家は1917年から2年間、アレクシス・ゾルバというバルカンを放浪する男と組んで鉱山の仕事をしたことがある。事業としては失敗したが、小説の素材になった。
 序文は「私の大好きな労働者ゾルバ」について、こう続ける。「ゾルバから生を愛し、死を恐れないことを教わった」「あの大食漢、大酒飲み、女たらし、放浪癖、仕事の鬼、寛大な魂、頑強な体、最も自由な叫び…」。
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 物語は、アテネ近郊、ピレウスの港から始まる―
 雨に濡れた港の酒場。荒くれ船乗りどものなかで、一人の青年紳士がクレタ行きの船を待っている。周りは酔っ払いばかりだが、彼だけはダンテの詩集を読みながらお茶を飲んでいる。ギリシャ人だが、英国あたりで高等教育を受けたインテリ作家だ。父の遺産であるクレタ島の亜炭坑を再開するために島へ渡るのだ。事業のためというよりも、『本の虫』から脱して行動の生活に飛び込むため。
 欧州は第一次大戦前夜のカオスの時代。祖国ギリシャも国際情勢の中で翻弄されていた。西欧的理性と知性の塊のような青年作家は、苦悩と焦燥の日々を送ってきたのだ。
 その青年の前に突然、背の高いギョロッとした目つきの男ゾルバが現れる。「旦那、ワシをクレタへ連れてってくれ」。どんな仕事でもできるという。『私』は、あちこち放浪してきたに違いない老船乗りシンドバッドのような男が好きになり、道連れにすることに決めた。ゾルバはサンドゥリ(民族弦楽器)の包を抱えていた。悲しみであれ、喜びであれ、感情が高まると、いつでもこれをかき鳴らすのだ。
 珍道中が始まった。二人のクレタの宿の主は、元パリのキャバレーの歌姫、マダム・オルタンス。彼女はあちこち渡り歩いて、クレタに腰を落ち着けたのだ。この世界のどこにも寄る辺のない究極の寂しいエトランゼ。昔、地中海世界の争乱で活躍した、英仏露伊四国の提督に愛されたことが自慢の想い出だ。
 ブヨブヨに太って、擦り切れた昔の晴れ着をまとい、年老いた猫のような彼女だが、その〝現実〟の陰に潜む女の可愛さ哀しさというものに価値を置く、というよりも女性を口説くのは男の義務だと確信するゾルバは、ついに彼女と理無い仲になり、結婚の約束をする羽目になる。彼女の死で、その約束を果たさなくて済んだが。
 ゾルバは、『本の虫』の『私』に、村の未亡人(演ずるはギリシャの美貌女優・イレーネ・パパス)に、夜這いをけしかける。「彼女は旦那に気がある。旦那も彼女が好きだ。だったら行け!」という調子だ。『私』はゾルバの教えを決行する。その後、女は、彼女に恋焦がれて受け入れられず自殺した若者の一族に殺された(土着の風習⁉)。欧州とはいえ、地中海の果てクレタには、異境の風が吹く。
 僧侶や村人を迎えて、亜炭坑開所式を迎える。しかし、石炭運搬用のケーブルが大崩壊。坊主も村人も散り散りになって逃げ去った。
 二人だけになって、ゾルバは聞く。「旦那、ケーブルが吹き出した火花を見ましたかい?」二人は大笑いする。笑い続ける『私』を、「それでいい」と言わんばかりにゾルバは抱きしめた。そうだ、『私』はすべての財産を失った。しかし、それがどうしたというのだ⁉ 別れの日の夜、浜辺で狂ったように踊る二人。映画はここまで。だが原作はこれからがいい。
 惜別の情がこみあげ、「お前とここに残る」という『私』に、ゾルバは「男はキッパリと鮮やかに別れるものだ」と諭し、海辺へ向かって歩いて行った。振り返ることもなく。
 その後、欧州各地を移り住み作家活動を続ける『私』に、ルーマニアやセルビアなど、バルカン各地の放浪先から、時折、ゾルバの手紙が届いた。いつも、新しい女房の写真が添えられていた。やがて『私』は、エーゲ海の島で、ゾルバの物語を書き終える。
 その時、セルビアの村の教師からたどたどしいドイツ語の手紙が届いた。「村の銅山の所有者、ゾルバ氏が死去しました」。そして、ゾルバが、「自分にはギリシャに友人がいる。死ぬ直前まで意識がハッキリしていて友人のことを考えていたと伝えてくれ」と遺言を残したと記されていた。未亡人の言葉も添えられていた。
 「故人は生前、あなた様のことをよく話していました。あなた様がゾルバを覚えていて下さるように、サンドゥリはあなた様にさし上げるように遺言しました。もしあなた様が私らの村をお通りになることがあれば、ぜひご逗留願いたい。そして朝、お帰りの節、サンドゥリをお持ち願いたい」。
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 カザンザキスは1946年、英国へ渡り、1957年ドイツ・フライブルグの病院で波乱の生涯を終え、遺体となって故郷クレタへ帰った。夫人は語った「彼は戦士のごとく、毅然として死んだ」。
 クレタの丘にある墓碑銘は「わたしは何も望まない/わたしは何も恐れない/わたしは自由である」。