マルタ島紀行

 シチリアの南方100キロメートル、アフリカ北岸から300キロメートル、〝地中海の宝石〟とうたわれる美しきマルタ島は、淡路島の半分位の大きさで、人口約40万人。れっきとした共和国である。ついでに言えば、小型犬マルチーズ発祥の地でもある。最もいい季節といわれる4月に訪れた。
 地中海の他の島の例にもれず、マルタもまた、フェニキア人、アラブ人、ノルマン人・・・と、幾多の民族の支配興亡の舞台であった。
 十字軍の時代の12世紀に、パレスチナで発祥した聖ヨハネ騎士団。欧州各地から遠征してきた騎士の集団である。その流れをくむマルタ騎士団が、16世紀にマルタ島を所領とした。後にナポレオンに占領され、彼の没落後は英国の支配下となり、長い間、英海軍の地中海の要衝として基地が置かれた。英国から独立したのは1964年のことである。
 1989年12月、このマルタ島沖のソ連艦船内でブッシュvsゴルバチョフ会談が行われ、東西冷戦に終止符が打たれた。やはり、地中海の要衝なのだ。
 首都ヴァレッタ近郊のカルカーラに日本軍将兵の墓地がある。その慰霊も、今回の旅の目的だった。
 第一次大戦(1914〜1918)が勃発するや、同盟国(日英同盟)の英国から、地中海への日本海軍艦隊派遣の要請があった。英国をはじめとする連合国の艦船は、ドイツ潜水艦の攻撃に悩まされていたのだ。派遣された日本艦隊の拠点がマルタ島ヴァレッタ港だった。日本海軍は果敢に戦い、連合国の勝利に貢献した。しかし、犠牲も出た。
 カルカーラの丘の上に、英連邦海軍墓地がある。その奥まった一角に、ひと際大きい石の塔。『大日本帝國第二特務艦隊戦死者之墓』とある。碑文には59名の戦死者名とともに、「友軍の英軍輸送艦をドイツ潜水艦から護るため、両者の間に割って入り壮烈な玉砕を遂げる」と刻まれていた。今から約1世紀前、日本の若者が、遠い地中海の地で、祖国の名誉のため散ったのだ。しかし、第二次大戦では、日英は敵対する。歴史の皮肉というべきか。
 ヴァレッタの港を見下ろす展望台で、孫を連れた老人に会った。「日本海軍将兵の墓があることを知っているか?」と聞くと、「もちろんだ」とうなずき、固く握手をしてきた。日本海軍将兵の物語を語り継ぐ人々が、マルタにいるのだ。ホットし、胸が熱くなった。
このオヤジさん、若い頃は船乗りだったそうで、「ヨコハマ、トウキョー、・・・」と、日本の都市の名前を並べ立て、日本人に会えたことを喜んでくれた。どこの国にも親日家がいるものだ。
 マルタ島が古来、地中海の要衝であることは既に述べた。小さな共和国だが、主要国は大使館を開設して、日夜、情報戦を展開している。ところが、「日本は、ローマの大使館から時々、館員がくるだけ。最近、中国の存在感が大きくなり、街をアジア人が歩いていると、皆、中国人と思われる。日本はいったい何やってんでしょうか⁉」と、マルタ人と結婚してマルタ島に住むガイドの日本女性が祖国のふがいなさを嘆いていた。
 そういえば、私が泊まったホテルも中国資本が入っていて、中華風のソファや椅子が散在。ホテルのメインレストランの入り口には、でっかい銅鑼(ドラ)が飾られていた。