ハンガリー・オーストリア・チェコ訪問記

 さる9月末、社団有志は勇躍ヘルシンキ経由ブダペストに向け、成田を飛び立った。ブダペスト空港に着いて、夜景を見ながらバスでホテルへ向かう。久しぶりのブダペストだ。
 私にとって、ハンガリーは格別の縁がある国だ。衆議院議員時代の1999年夏、ユネスコ事務局長選挙で日本人候補(松浦元駐仏大使)への支援をハンガリー政府に要請するため、同僚議員とともに訪問したのが最初だ。同政府は快く日本支援を承諾した。松浦氏は当選し、立派に職責を果たした。
 その最初の訪問の際、日本大使公邸(当時、経団連専務理事だった糠沢氏が大使)で紹介されたのが、駐日大使として赴任直前の日本近世史の専門家・セルダヘイ氏だった。現在、セルダヘイ氏は駐日大使として異例の2度目の赴任中である。
 支援の〝お返し〟に、中山太郎先生(元外相)のご指導のもと、同僚議員と力を合わせ、東京で『ハンガリー建国千年記念祝賀会』を盛大に敢行したのは懐かしい思い出だ。以後、自由化によってワルシャワ条約機構からNATOのメンバーに変わったハンガリー軍の視察をはじめ、様々な目的でハンガリーを訪問した。
 かつて、ウィーンとともにハプスブルグ皇帝家統治下のオーストリア・ハンガリー二重帝国の中心として、ブダペストは『ドナウの真珠』とうたわれる美しい街だった。しかし第二次大戦後、ソ連支配圏に組み込まれ、ブダペストは輝きを失った。そのブダペストが自由化後、訪問するたびに美しさを取り戻すのはうれしかった。今回の訪問でも、ゲレルトの丘から見下ろすブダペストの街は、息を呑むほど美しかった。

活躍する日系企業
 ハンガリーには、スズキ自動車をはじめ多くの日本企業が進出している。今回は日本を代表する自動車部品メーカー、デンソーのハンガリー工場を視察した。ブダペストから車を走らせること1時間余のセーケッシュフェヘルバールに同工場がある。現地法人の海老原次郎社長と岩付知之副社長の懇切丁寧な説明を受け、工場内も見せていただいた。
 少数の日本人職員のもと、多数のハンガリー人職員がきびきびと働いている。この体制が整うまでに、日本から出向した何代もの社長と職員の努力と苦労の積み重ねがあった。この工場の製品は、現在、ベンツ以外の全欧州自動車メーカーに納入されている。日本の技術は、日本車だけでなく、世界の車生産を支えているのである。
 次は、ハンガリーが誇る磁器・ヘレンド。日本にもファンが多い。日本では星商事が総代理店をつとめている。その本社を訪問し、工房で製作過程を見学。ミュージアムで展示されている作品は、いずれもすばらしかった。バラトン湖の畔にあるワイナリーで、各種ワインを試飲。昔、バラトン湖畔のレストランで、ナマズのから揚げを食べたことを思いだした。
  マンガリッツァ豚は、ハンガリーの国宝である。〝種〟の国外輸出は厳重に管理されている。縮れた長い毛をまとった姿は、豚というより、犬か羊と見まごうばかり。食べるよりもペットにしてもいいのではないかと思うのだが、ちとデカすぎるか? そのカワイさと異様さに視察団の面々はすっかり魅了され、延々とバスを走らせて牧場を訪ねた甲斐があった。日本からは、畜産や料理関係者の視察が多いという。

プラハ空港の表示板にハングル(韓国語)
 ハンガリー大平原をひた走り、陸路ウィーンへ。この街も久しぶりだ。かつては、日本からハンガリーやバルカン半島への中継点として、よく立ち寄ったものだ。ウィーンで1泊して、チェコへ。
中世の面影を色濃く残す城の町、チェスキー・クルムロフは絵のように美しい町だった。中国人観光客が騒々しかったが。ここも1泊。
 翌日、いよいよプラハへ入る。ヨーロッパの大都市で、もっとも多く中世の建物が残されている千年の都プラハ。世界中からの観光客であふれている。
 中東欧には活気があった。思えば、ハプスブルグ帝国が崩壊する20世紀前半までは、欧州の中心だったのだ。第二次大戦後のソ連・共産主義による支配で暗く荒んだ地域になったが、EUとNATOに加盟し、その地政学的位置(北欧、西欧、ロシア、トルコ、地中海地域、北アフリカの〝真ん中〟)からみて、新しい時代に大きな役割を果たす予感に満ちている。しかも、極めて親日的な地域だ。
 にもかかわらず、プラハ空港で、驚くべき光景に出くわした。空港内の各種表示が英語とロシア語、そして韓国語だった。チェコには多くの日本企業が進出し、昔から日本人観光客も多い。韓国人や中国人が欧州旅行をするようになったのは最近のことだ。空港でこのザマとは、欧州随一の観光地で〝日本埋没〟を世界に宣伝するようなものだ。いったい、日本の関係当局は何をやっているのか。事前に韓国の〝工作〟を日本側に伝えてくれるカウンターパートを、チェコ当局の中に作っていなかったのか?
 くわえて、名所中の名所、プラハ城へ向かう沿道には、サムスンの看板がズラーッと林立していた。普通なら、自国随一の歴史遺産を外国企業の宣伝に利用させることはない。何らかの〝努力〟がされたことは、想像に難くない。
 プラハの高級ホテルのロビーには、欧米の一流紙とともに中国の英字紙が置かれている。記事に目を通すと、中国がいかに近代的なビジネスを安心してできる国かを宣伝している。日本の新聞をさがしたが無い!
 私は、仕事柄、世界中を廻っているが、在留邦人の間からは、決まって日本の政官のパフォーマンスの低下を心配する声を聞く。喧嘩知らずの単なる受験エリートや、良家の子女あがりに任せておいてはダメだ。日本を敵視し、あわよくば滅ぼそうとしている国のハングリーでファイト満々の官僚群と、互角に戦える人材が必要だ。官僚の任用制度、ならびに研修制度の見直し、そして民間のアグレッシブな人材をどんどん政治任用することが必要ではないか?
 幸い、安倍総理が再び指導者の地位に就いた。国力の回復のため矢継ぎ早に政策を繰り出しているが、外交戦略や対外宣伝を既存省庁の枠を超えて取り仕切る機関の首相官邸内設置を、国策の急務として位置付けてもらいたいものだ。
 せっかくの美しい中東欧の旅だったが、視察団一同、憤懣やるかたない思いで、日本へ向けて飛び立ったのであった。