旧日本兵の遺品(寄せ書き日の丸)安倍総理に返還される


【日章旗返還活動の経緯】
 平成27年8月4日、総理官邸において、71枚の〝魂の日章旗〟が安倍総理に返還された。先の大戦で、日本兵が出征する際、家族や友人が寄せ書きをして思いを託した日章旗。しかし戦場に散った日本兵たちが持っていた日章旗は、敵国の兵士にとって〝名誉の戦利品〟として持ち去られた。
 それら日章旗の多くは、未だ日本の遺族の元に返還されずに世界に残存している……それどころか、アメリカのミリタリー系のフリーマーケットで一部が売買されている現実も見受けられる。
 この日章旗の返還活動を2009
年から行ってきた団体がOBON2015である。アメリカ・オレゴン州在住の歴史家レックス・ジーク氏と夫人の敬子氏が代表を務め、公益社団法人 国際経済交流協会の米田建三会長もアドバイザーとしてメンバーに名を連ねている。善意あるアメリカ人と日本の遺族の橋渡し役を担っていく。この活動が結実の節目を迎えたのが、戦後70年目の8月4日だったのだ。
 米田会長の総理官邸への要請により、ジーク夫妻およびアメリカ退役軍人の方々と安倍総理が面会し、日章旗が直接手渡された。
 会見においてジーク氏は総理と関係者の方々に謝辞を述べた上で、「アメリカと日本は現在平和です。しかし記憶を継続されている方もいらっしゃいます。その中で、これらの日章旗が家族から兵士に贈られたものだと気付いたアメリカ人たちは、ぜひ日本の皆さんに返還したいと願われています」とあらためて伝えた。
 総理も、「お骨を始めとして殆ど遺品が残されていない中でこの日章旗を返還していただくことは、ご遺族にとって極めて大切なことだと思います」と語り感謝の意を表した。手にした日章旗に書かれたある一文を、総理は注目した様子だった。
「〝父よ元気で頑張れ〟と書かれているので、おそらく子供たちを中心に家族、友人が思いを込めて名前を書いていると思います。かつて熾烈な戦いを交えた米国の方々から返還していただくことは、大変感慨深いものです」(総理)
 ジーク氏は、「今回同行していただいた退役軍人の方を含め、多くのアメリカ人が70年の時を経て戦争に終止符を打つ時が来たと考えています」とも述べている。
 先の4月には、安倍総理がアメリカの上下両院・合同会議において演説したばかりである。総理はこの点について「〝希望の同盟〟の演説を行ったところです」と強調し、「日米両国は二度と戦争の惨禍を繰り返さないために、互いに平和の世界を構築していくために協力していきたい。こうした形で日章旗が返還されることも含めて、70年前に思いを馳せながら、平和構築の努力をしていきたい」 と応えた。会見はその後、返還運動を支援してきた厚生労働省の塩崎恭久大臣からの挨拶を経て終了。
 会見後、退役軍人の方一人一人と握手を交わしながら談笑し、総理は、あらためて日章旗に見入っていた。
【戦場における〝旗〟の意義】
 会見が行われた当日は猛暑日。訪日日程をバスで移動されていたとはいえ、90歳を超える退役軍人の方々も疲労の色は隠せない。総理との面会後に行われた記者会見の前後には「疲れた」との声も度々聞かれた。
 記者会見は、米田会長とジーク氏によるOBON2015の活動概要の説明から始まったが、両氏がまず伝えようとしたのは1点、〝旗の認識の違い〟であった。
「先の大戦では多くの米兵が戦利品として日章旗を戦地から持ち去ったのですが、多くのアメリカ人はその旗が日本政府から配給されていたものだと思っていました。年月が経つにつれて、この寄せ書き日の丸が、家族から武運長久を願って兵士のためにつくられたことを理解したアメリカの人々は、日本のご遺族の方々にお返ししたいと願うようになった。しかし返し方がわからないんです。そこでOBON2015は、大切な遺留品をお預かりして、ご遺族を捜索し、返還のお手伝いをさせていただいています」(ジーク氏)
 米田会長の補足によれば、欧米諸国における〝フラッグ〟は意味が異なる。旗は敵味方の軍を識別するためのツールであり、敵軍の旗を戦利品として納めることは大変な名誉とされたのだ。やがて日章旗に対する認識の違いがわかるにつれ、返還の流れへと繋がっていった――。
 無論、旗の認識以前に、当時の戦場で遺留品の重みに気付いた米兵たちも存在していた。
 硫黄島で軍隊生活を始めた退役軍人、ハロルド・ラドゥーク氏は、「戦場で日本のいろいろな遺品を拾って、ある写真を見た時に、この方の家族の元にもう彼は帰ってこないのだと痛感した」と回顧している。日章旗返還運動が進む裏に、元米兵の方が戦争で抱えた〝重み〟の清算の意味合いも含まれているのだろう。
 ジーク氏はOBON2015の活動について「どの方々にも、これはどうするべきだとお願いをしたりはしません」と語った。それでも総理との面会前の時点で、ジーク夫妻の元には週に2~3枚の日章旗が届くようになっていたという。インターネットや口コミでOBON2015の活動を知り、自発的に返還に参加していく旗の所有者は着々と増えている。
【活動の課題と今後の目標】
 この活動を行っていく難しさについて敬子氏は、「こういう現状があることを多くの日本国民の皆様がご存じでないこと」を挙げていた。日章旗に書かれた名前や言葉から、返還されるべき遺族を探していくのは非常に地道で困難な作業である。世界中に旧日本兵の遺留品が現存している状況すら日本人が把握していないのであれば、今後も困難な状況が続くだろう。
「旗を所有している多くのアメリカ人が返還を願っている思いを、その平和と友好の声を、日本の皆様にお届けしたいという真摯な気持ちで私たちは来日しました。安倍総理と会見させていただくことで、全米から託された声をお届けできると思います」(敬子氏)
 実際に後日、多数のメディアがこの会見と日章旗の返還活動について報道を行った。日本国内での知見を広めるという点において、8月4日の会見は大きな成果を果たしたと言える。 
 日章旗はアメリカにあるだけではなく、フランスやアイルランドなど世界各国に現存しており、その保有者から返還の問い合わせ・依頼が届きつつある。ジーク氏が「次の目標」と掲げる2020年・戦後75年の節目には、より一層の寄せ書き日の丸が集まっていることだろう。それをご遺族・ご親族の元へ丹念にお届けしていくために、OBON2015の活動は深化していくであろう。