集団的自衛権容認は焦眉の急

(2014年7月発行World Navi)

 現在、政府が憲法解釈の変更により「集団的自衛権」すなわち日本と密接な他国が攻撃を受ける場合も日本が反撃する権利を行使できるよう、閣議で決定しようとしていることについては賛否両論が拮抗しているといってよいだろう。
 確かに第二次世界大戦後、米ソの冷戦構造にありながら世界秩序がそれなりに安定していた時代のままだったら、日本は直接自らに対する攻撃にさえ備えていれば自国の利益を守れたと思う。しかしながら現在、米国の国力が相対的に衰えてかつてのような世界の警察としての役割が期待できないようになり、かつ、尖閣諸島やベトナムなどで力を増してきた中国が緊張感を高めている。北朝鮮の核開発・ミサイルの動向も目が離せない。
 このような状況の変化の中、日本が取れる方策としては、
(1)自らの国を自らが守り切る軍事力の増強か、
もしくは
(2)同盟国と必要に応じて多様な連携を取り、パワーバランスを維持することによって脅威を抑え込むか
 のいずれかしかない。(国連を通じて対応するということは、加盟国の利害対立や常任理事国の拒否権などでまず期待できず、ましてや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持(日本国憲法前文)」するというような担保のない方法が実効性を有しないことは多くの国民が実感している。)
 今まで実戦を経験していない自衛隊が、しかも予算の制約のある中で、(1)だけで問題解決することは当面できない。となれば現実的には(2)の方法、すなわち集団的自衛権の行使をオプションに加えるしかない。
 しかも時代はさらに複雑化している。民族紛争や地域紛争の多発、国家以外のテロ組織による攻撃等、グローバル化に伴い世界の一部の脅威が大きく周辺に影響をもたらすようにもなった。
 総理の諮問機関である安保法制懇の報告書は、武装集団による不法行為や退去に応じない外国潜水艦に対応するなど警察権と防衛出動の間のグレーゾーンをどう扱うかや、在外邦人の救出、PKOにおける駆け付け警護をどうするかなどの新たな課題にも指針を示している。
 ここで、こうした対応をするなら、憲法の明文を変えるべきで、政府の憲法解釈を変更するべきではないという主張も見られる。しかしそれは二つの意味で妥当ではない。
 一つは、理論的な問題。集団的自衛権は、個別的自衛権とともに本来国際法上行使が認められている権利である。わが国の憲法上も集団的自衛権が認められないという条文はどこにもなく、これまで政府が「わが国を守るために必要最小限の武力の行使とは言えない」と当時の国際情勢に応じて解釈していただけだから、上記のように国際情勢が変わって諸外国との連携による危険の排除が求められるようになった以上、慎重な検討を経て安定的な要件を設けるならば、やはり政府の解釈で変更できるのが筋だ。現に自民党の改正憲法草案では、自衛権と国防軍の存在は明記しているが、集団的自衛権行使を認める、といった明文はない。
 もう一つは、憲法改正には多くの時間を要し、現に生じている事態に対応できないということだ。
 この原稿を書いている時点では公明党との協議は整っていないが、国論を二分する問題であり、かつこれまでの方針を転換する重要な決定だから、慎重に議論すべきことは当然である。また、変更された憲法解釈に基づき、認められる類型や要件を法制化する際には、必要な事例をカバーしなければいけないことはもちろんだが、集団的自衛権行使を認める場面をなるべく限定する努力も必要だろう。国民の多くは、日本が解釈変更をすることにより、海外での武力行使がなし崩し的に拡大したり、外国の戦争に日本が巻き込まれたりすることを危惧している。先ほど述べたように「集団的自衛権を認める方が安全なのだ」と誰もが納得でき、かつ、政権が変わったらコロコロ解釈が変わるようにしないようにすることが必要だと思う。