「トリコ」の閉塞状況を打ちやぶれ
(2013年10月発行World Navi)

「トリコ」理論とは、シカゴ学派のスティグラー氏によって展開された経済学の概念。規制当局や議会の委員会などが、本来規制すべき利益団体(大企業や業界)を、逆に擁護することになってしまうという説である。規制当局は、意図する・しないに関わらず、あたかも「囚われ」の身になって、被規制産業の利益が最大になるように政策を形成・実施する。
 福島第一原発の事故原因を調査した国会事故調の報告の中で、規制側の経産省原子力保安院と規制されている東京電力との永年の関係を、この「トリコ」理論と表現したことで、大きく世間の注目を呼んだ。
 いささか難しく聞こえるこの学説も、伝統的な日本社会に推し当ててみれば、何も珍しくない。
「越後屋、おぬしもワルじゃのう…」
「いえいえ、お奉行様には敵いませぬ、フッ、フッ、」
これは、時代劇でのおきまりのワンシーン。規制側の「お奉行様」は床の間を背にして座るが、段取りを仕切るのも儲けを上げるのも下座に座る規制される「越後屋」の方…。
 ところで、これとは別に「ストックホルム症候群」と呼ばれる「トリコ」理論と裏腹のような概念がある。犯罪学で、人質事件で長時間人質にされた人が、自由を奪っている犯人グループに同情・迎合して、次第に共鳴・同調する現象。ハイジャックや立てこもり事件のあと解放された人質の中には、事件後までこの症状が残る場合があることが確認されている。圧倒的な自由抑圧の中で「自虐と自己正当化」の心理作用だと考えられる。
 私は、この一対の概念で、今の日本が抱える様々な閉塞状況を言い当てることができる。まず、先ほど触れた「原発」をめぐる政・官・業の密接な関係。天下りなどで見返りを受ける「官」についてはもちろんだが、「政」の中でも電力会社や労組と密接な関係を有する二大政党は、「床の間を背にして座るお奉行様」のように映る。
 では、国民と地域独占の電力会社の関係はどうか。一般国民は、原発事故が起きても逃げ出すこともままならぬ、電力を他所から買うことも出来ない、言わば「カゴの鳥」状態。それでいて原発依存の電力会社の姿勢に対して、依然として肯定的なコメントの方が沢山おられる。圧倒的抑圧下の自己正当化であり、一種の「ストックホルム症候群」と見るべきだろう。
 私は、日本社会の閉塞状態の殆どは、これと相似の関係が見られる分野であると考えており、農業政策とJA、郵政民営化と日本郵政や全特の関係などは典型である。
 共通なのは、規制官庁に対して一つの巨大業者(業界)の存在。この場合、規制は、オーダーメードの仕立てのように被規制の体型に合わせた服の寸法にするだけで、中の業者を防護し存続を助けているようにしか映らない。
 一般国民の眼には「官」と「業」は殆ど一体の存在。クイズで、「農協は、業者だろうか役所だろうか」、「郵便局は、業者だろうか役所だろうか」と尋ねても、正解者は少ないだろう。
 閉塞状況の打破には、「トリコ」状態に陥らないいくつかの仕組みをビルド・インする構造改革が待ったなし。分野は異なっても改革の本質は変わらない。
それは第一に、規制官庁を純粋培養のクローズドな組織から、外部の意見が反映される組織に変えること。また、業者の実態把握を規制側が自前で行うことは当たり前で、たとえば、現地の放射線量調査を東京電力側に頼っているようでは、埒があかない。
 第二に、規制を受ける業者には常にライバルの存在が必要。同業他者か、あるいは他業種からの参入か、はたまた外国からか、自由化と競争の導入が不可欠である。
第三に、徹底した情報公開を大前提に、主権者であり消費者でもある国民の評価が規制にも業者の選択にも反映される仕組みにすること。国民の側に選択肢が保障されなければならない。
 私は、社会の閉塞状況を打破して今後の成長戦略の中核をなすべき構造改革に、これからも全力投球で当たりたい。