教育委員会を廃止し責任ある教育行政を確立する
(2013年7月発行World Navi)

 大東亜戦争で敗れ去った日本が、復活し、ここまでの成熟した国になれた原因は、日本国の底力、先人たちの想像を絶する努力と胆力、普通の人々の現実を受け入れる強さ、などだろう。敗戦後の焼け野原からの復興、高度経済成長、80年代バブル時代をへて、しかし今の日本はどうだろうか。
 大きな変化の一つは、日本の歴史で初めて継続して人口が減少する時代に突入したことだ。人口増加を前提に構築された制度は基本的にすべて見直していくことが必要だ。人口が激減する時代に、人口増加の高度経済成長期と同じ考え方でこれからの日本がやっていけるはずがない。新しい時代の価値と体制づくりが急務である。一時的に景気の高揚感が出ても、日本は今、切実な過渡期の時代にあるのだ。
 大正生まれの祖父が父親代わりとなって私を育ててくれた。祖父は大東亜戦争に参加し、中国戦線から最後は地獄のニューギニアで敗戦を迎えた。ニューギニアでは投入された18万人の日本兵のうち生還したのは1割の1万8千人に満たない。10人中9人が戦死か餓死している。私は祖父が戦争体験を話したり、戦争の論評をしたのをほとんど聞いたことがなかった。とても口にできない過酷な体験をしたのだろう。しかし、「(国を想いながらも)みんな最後は、お母ちゃんと言いながら死んでいった」 こんな話だけはよく憶えている。戦争は絶対に起こしてはいけない。戦争の実体験のない世代の私が、ニューギニアから生還した祖父から学んだのはこの信念だ。そしてそのためには、自分の力で自分を守る力を日本が持つことだ。力のない正義は、正義とはならない。敗戦国のつけは全ての分野に及んでいる。経済構造、教育、外交・安全保障。そのなかでも、国民の生命と財産を守る第一の基盤は国防だ。国が守られてはじめて安定した経済と生活が構築できる。外国の軍隊が駐留して守ってもらわなければ外国の脅威に対抗できないのは、普通の独立国家ではない。しかし、敗戦国として現実は受け入れるしかない。日米関係なくして今の日本は立ちいかないのが現実。そのうえで、日本人として独立国家の気概を実現していかなければならない。いつかは…、という気概だ。
 そんななかで、国も地方もこれまでとは全く違う局面に入っている。時代が変わったのだ。これまでどおり、では生活を守れない。この切実さが2009年の政権交代の原動力だったはずだ。その政権交代は政権がいつのまにか自らが批判していたはずの、古く通用しなくなったやり方に舵を切って虚しいものになった。しかし、時代を逆行させ、もとの古い政治に戻すことは絶対にあってはならない。それでは、日本に未来はやってこない。再び日本を堂々たる国にするには、現在そして未来の人口構造と世界の経済構造に合致した政治の新体制を至急つくることが必要だ。わずか4年ばかり前に国民が切実に心配したこの国の課題は今も何も解決していない。もう古いシステムでは国が立ち行かないのに。
 だから、あきらめずに新しい挑戦を続け、「これからの日本はこの新しい体制でやっていく」という時代に合ったシステムをつくりあげるまで、ぶつかり続けるしかないのだ。そこにはこれまで当たり前と思ってきた統治機構や、景気の実感、国民と政治の価値転換をともなう大きな変革が必要になる。小手先の金融政策で経済が安定的に成長するとか、古い形の公共事業で景気浮揚とか、為替の安定によってもう一度国内製造業が過去のように盛んになるとか、そんな単純な状況ではないだろう。
 こういった根本的改革の必要性は以前より切羽詰まっている。今度こそ、やり抜いて新しい政治体制をつくりあげなければならない。それをやり抜けるのは、根本的にこの国の統治機構から変え、これからの時代に合った新しい価値を生み出せる新しい政治勢力だ。日本維新の会は、将来のより大きな改革的政党建設のための突破口、さきがけとなることが期待されるものである。